徒然なる日常

田舎の学芸員がいろいろと感じたことを徒然と思い付くままに。

「時をかける文書」展@いずみの国歴史館と観て考えたこと

この秋は自分の展示などあり、他の館の展示をなかなか見れず。
観た展示についても感想書けなかった。

先週に終わった展示だけど、なんとか見に行けたのが表題の展示。

www.city.osaka-izumi.lg.jp

和泉市の近世』刊行を記念しての展示で文書資料中心。
座にも注目した展示で興味深いものであった。
よく見る「泉州方陣屋之図絵」は思っていたよりも大きいことなど論文などからはなかなかわからないものだと改めて思う。

内容は興味深いものだったのだけど、気になった点が。
文書資料がほとんどを占めていたけれども、文書の釈文が皆無だったこと。
釈文のパネルだけでなく、配布物でもなかった。
パネルに『市史〇〇頁』と記載があったので、市史参照ということか。
ちょっと観覧者に不親切かなと感じた*1

文書資料の展示パネル

この展示をみて、考えたのは文書資料展示においての補助パネルの存在。
文書資料の展示には補助パネルが結構必要になると思う。
解説パネル、釈文、読み下し文…、資料そのものよりもパネルの方が大きくなる。
個人的には、解説パネルと釈文は置くようにしている。
これ以上置くと展示資料ではなく、パネルを見せてるような感じになるから。
先日終了した展示は長い書状が多かったのもあり、釈文パネルを置くスペースがなかったので、配布物とした。
文書資料はいわゆる「くずし字」で記されているので、なかなか読むことができない。
これは土器など考古資料とは異なり、楽しむのにハードルが高いものだと思っている。
その足掛かりとして釈文パネルを作って、少しでも理解してもらえればと考えている。

よその館でみたのは、展示している資料の写真パネルを作成し、その写真の中に釈文を記したもの。
これだとどこにどの文字が書かれているのか一目瞭然。
しかし、実際の資料は観ないのではないか、といつも思う。

と、考え出すときりはなく、試行錯誤を繰り返していく必要があるのだろう。

*1:和泉市の近世』そのものは面白いです。内容も取り組みも。